2003-05-29 第156回国会 参議院 文教科学委員会 第16号
工学、薬学、医学等は大丈夫だと思うんですが、人文科学、私はしょっちゅうサンスクリットと言うものですからサンスクリットの先生におしかりを受けておりますけれども、人文科学、特に例えばサンスクリット、自然科学で申しますとごくごく基礎的な化石の研究であるとか素数、素数の研究であるとか、私のように理論物理学の研究というのはすぐには実用化されません。
工学、薬学、医学等は大丈夫だと思うんですが、人文科学、私はしょっちゅうサンスクリットと言うものですからサンスクリットの先生におしかりを受けておりますけれども、人文科学、特に例えばサンスクリット、自然科学で申しますとごくごく基礎的な化石の研究であるとか素数、素数の研究であるとか、私のように理論物理学の研究というのはすぐには実用化されません。
日の当たる分野は文部省から科学研究費補助金等、民間から奨学寄附金等を得やすいのでありますが、阿南委員がおっしゃられたインド哲学、私は常にサンスクリット研究を引用いたしますが、そういう分野、考古学、私の分野である理論物理学や数学のように、直接すぐには社会への貢献が見えないような分野の教育や研究をどのように維持するのか。
科学研究を これは大臣の専門分野でありますが、 科学研究を市場にゆだねるならば、基礎研究はおざなりにされようし、人文社会科学の研究は無論のこと、理論物理学や純粋数学の研究もまた衰退を余儀なくされる。わが国の文化はいま衰退の一途をたどっている。 こういうふうに指摘をしているわけであります。
こういったことを湯川秀樹さんが理論物理学へ応用しまして、ある、ないというのはやはり実証しなければわからないんだと、こういうことを言っておるわけであります。 そこで、人間の死というものは一体どういうふうにみんな考えるだろうかといったら、アインシュタインは、死というものはモーツァルトが聞けなくなるのが死であると、こう言ったそうであります。
そういう意味で、私は、全く理論物理学で、都市構造なんということは今まで考えてみたこともない人間でありますので、お話が大変ピント外れであったかと思いますが、私個人の感想を申し上げますと、もっと地方に文化を分散していかなければならない。
全国の理論物理学の研究者たちは、この京都大学の基礎物理学研究所というのは自分たちがそこで研究をしていくんだという、そういう意識でこの研究所を大事に思ってきました。 この研究所に研究部員会というのがあります。
その際、特別な領域とは何かというと、私が理論物理学者で、自分の分野を挙げるのは申しわけないんですけれども、理論物理学と数学の分野を現在検討いたしております。 最後に、高齢社会に対する教育のあり方でございますけれども、いや応なしに二十一世紀の初頭では高齢社会が実現いたします。
それを理論物理学、数学ということで判定をするということでありますが、その希有な才能を持つ高校生、いることはいるでしょうが、果たしてそれを理論物理学と数学だけで判定をしていいのか、またできるのか、言葉は悪いですが、専門ばかを見つけるというようなことになりはしないかという懸念がございます。 第二点、飛び級の対象をどのぐらいにお考えなのか。
また、世界の頭脳と言われたアインシュタイン博士、御承知のとおりでありますが、相対性原理、いわゆる理論物理学の創始者でありますけれども、大正十一年ごろと記憶しておりますが、日本に来られ、日本各地を回られ、その当時アインシュタインブームというのが巻き起こったそうですが、そのアインシュタイン博士が我が国に残していかれた言葉があります。
文学的だとか、あるいは数学、物理でもらわれた、理論物理学でもらわれたのは、余りお金がかからないで自分で黙ってやっていればいい、上の者とけんかもしないでいい、そういう人が、湯川さんやら朝永さんはそうじゃなかったかなと思うんです。湯川さんもあるいは朝永さんも自分の卒業した大学にはおれないで、どこか初めは助手として行かれているわけですね。
私の駆け出しの科学者であったころの気分から申しますというと、若さこそ創造性の宝だというふうに考えていたわけでして、殊に理論物理学なんていうのは、湯川、朝永先生の例を考えてもわかりますように、二十代に一仕事しておかなけりゃ後は到底ろくな仕事にならぬということが常識になっていたわけです。
その応用研究、特にいわゆる先端技術に密接したような技術についてはいろいろ政治的な問題があって、そういうことにかかわり合いのある学問の分野の方は御遠慮願うということはそれはあり得ることだと思うんですが、この理論物理学、例えば湯川先生とか朝永先生がやっておられたような理論物理学の分野の先生にもビザが出ないといったような雰囲気は非常によろしくないと私は考えます。
しかし、この物理学者の中で湯川先生の御専門は何かという話になりますと、これは実験物理学ではなくて理論物理学である。そのまた理論物理学の中の、しかもそれはたとえば固体物理の分野ではなくて、素粒子論という分野のまたその中のいわゆる最近は場の理論をやっていらっしゃると、こういう話になって、その場の理論の専門家であるというようなことを言わなきゃならなくなるわけであります。
つまり、そういう青春のまだみなぎっているときに、本当にオリジナルな仕事がなし得られるのであって、長い間の蓄積で学問を達成するという場合、そういう学問の種類ももちろんあると思うのでございますが、少なくとも私の関連している分野では、ことに理論物理学といったような分野では、若さというものが決定的な要因になっておりまして、大学院の学生はむしろ私は研究者と考えている次第でございます。
昭和四十六年、国立大学共同利用機関として高エネルギー物理学研究所、それから四十八年の九月二十九日には国立極地研究所、十六年には北海道大学の低温科学研究所、それから二十八年には東京大学に宇宙線観測所、三十年には原子核研究所、三十二年には物性研究所というふうにできておりますし、名古屋大学のプラズマ研究所が昭和三十六年、空電研究所が二十四年、京都大学の基礎物理学研究所が二十八年、それから広島大学の理論物理学研究所
オーバードクター、すなわち博士浪人の問題が一番深刻になっているのはおそらく理論物理学であろう。五年くらい前には、どの大学でもよければ何とか助手のポストは見つけることができた。ところが、現在では、小さな大学でも物理の助手を公募すると、たちまち十数人の博士の学位を持った候補者が押しかけてくる。ひどい場合には、一つのポストに数十人という例さえ起こってきている。
また学問の分野においてもそのとおりでありまして、何も理論物理学の例をあげるまでもなく、諸分野において外国のといいますか、西欧の論理の上に立ちながら日本の独自の学問の成果をあげている分野があるわけであります。そういういわば世界との同質的な側面というものを今後は大いに紹介し、かつ説明していかなければならないというふうに考えます。
特に基礎的な理論物理学あるいは数学方面においてそれが著しいように思うのであります。そういうようないろいろな状態が積み重なって、今日、日本の技術が輸出されるよりも、技術を輸入するということでたいへんな外貨を払っておる、こういうような状況にあるわけです。
ところが、素粒子論、理論物理学のそういう分野においては、実用とはいわばほど遠い感覚をともすれば国なり国会が持とうとする。そういうことが予算化をはばんでおる現実上の大きな原因ではないかと私は思うわけでございます。いま篠原さんが言われました、私はそれを聞きたかったので、実はきょう科学技術会議の方々をお呼びしたわけなんです。
それは、日本は技術に関する理論、これはなかなか世界的水準をいくのだ、湯川さんの理論物理学にいたしましても、あるいは成瀬教授の歯車理論にいたしましても、本多教授のはがねの理論にいたしましても、その時々の世界の水準をいく理論は開発をするのだ、ところがその技術の理論を開発しても、それをなかなか応用、使ってくれるところがないんだ、これはなぜかというと、企業は非常に進歩的ではあるが、一面保守的なんだ、新しいものは
わが国におきましても、数学、理論物理学をはじめといたしまして、基礎科学に従事する優秀な頭脳は、多くアメリカに渡ったきり帰ってこない例がすこぶる多いのであります。
この前私が委員会で申し上げたのは、たまたまこれを大いにやろうと思って出かけてきましたところ、参考人にお願いすることをど忘れしておりまして、理論物理学の大家と国際法の大家がいらっしゃったのです。肝心の石川委員がお見えにならない。人形峠の視察においでになるという話を聞いておったものですから、伝言をお願いしたはずでございまして、西村さんからお伝え願ったと思うのです。